舞鶴、港めぐりに行ってきた!
京都は舞鶴の港めぐりに行ってきました。
今回はカブではなく日帰りバスツアー。バスツアーなら上越から京都の長距離でもギリギリ日帰りできます。
たくさん現地の写真を撮ってきましたので紹介します。
いざ、舞鶴へ! 座席を巡る争い!
出発は6:30、旅のお供は弟です。
行程はざっくり
- 上越(参加者を乗せる)
- 糸魚川(参加者を乗せる)
- 高速で舞鶴へ(車内で弁当)
- 舞鶴で遊覧船に乗り、赤レンガ倉庫群を散策
- 帰路、途中敦賀で日本海さかな街でお買い物
- 糸魚川、上越着
といった感じです。
ここでちょっと車内での座席攻防戦をお送りします。
バスツアーの車内は様々な思惑が飛び交う戦場です。
最初私たち兄弟の座席は一番後ろの5人がけシートの右側。隣の3席は空席でした。
これがもう最悪!
床下ではエンジンが唸り、その熱で足元が熱い。
エアサスがポヨンポヨン跳ね、後輪より後ろに座っているせいでカーブでは左右に振られる。
元々わたしも弟も車酔いしやすいのに上下左右に揺さぶられながら走るもんだから一発で酔いました。
そんな中で糸魚川で参加者を乗せるために停車。
そしたら前よりに座っていた中年夫婦が「広いほうがいい」と、空いていた私たちの隣に移ってきたのです。
これはチャンス!
すぐさま添乗員さんに申し出て、その夫婦がいた前よりの席に移動できました。
それにより狭いものの、前から3番目という最高の座席を手に入れられました。
これで車酔いも解消。途中で買ったお菓子も食べられます。
一番後ろへ移動した夫婦のその後の様子は知る由もありません。
↑その座席から撮った写真。
舞鶴到着
バスから降りればそこは軍港でした。
赤レンガ倉庫群
これらが赤レンガ倉庫群です。
明治から大正にかけて建設されたそうです。
現在は改装されたものはカフェや売店になっていたり、一般企業への貸し倉庫になっていたり。
改装されていない、そのままの状態のもありました。
一部は海上自衛隊が受け継ぎ、倉庫として使用しているようです。
倉庫と倉庫の間には、恐らく当時のものであろう荷物運搬用のレールが走ってます。
こちらは改装されていない、当時のままのもの。
窓はもともとは格子にガラスを張ったオシャレなものだったようですが、管理が大変なんでしょう。
鉄板が張ってあります。
扉上の表示には何か書いてありました。かすれて読めませんでしたけど。
この柵の向こうは海自の基地です。
遊覧船から舞鶴港を見学
いよいよ船に乗り込み海上に出ます。
たくさんの艦艇が停泊していました。
掃海艇。磁気機雷に反応しないよう、恐らく船体は木製。
壮観。
ここは教育隊。
あのカッターを漕ぐ訓練もするのでしょう。
隣接する施設には火災消火訓練場もあり、海自だけでなく消防の人たちも訓練に訪れるのだとか。
海上自衛隊舞鶴航空基地。
「ひゅうが」はドッグ入りしていました。
このクレーンが立ち並ぶ様子、けっこう好きです。
現在は民間の造船所になっている施設も、もともとは舞鶴海軍工廠の造船所だったそうです。
その他港周辺には第三火薬廠(現日本板硝子)など民間に払い下げられた土地が数多くあるようでした。
みんな大好きイージス艦「あたご」
↑↓こちらは補給艦「ましゅう」
「ましゅう」の艦首。
カナダ海軍のフリゲート艦も入港中。
この写真を撮影した後、右上に写っている作業中の水兵さんがこちらに手を降ってくれました。
遠路はるばるお疲れ様です。
新日本海フェリーの乗り場。ここから小樽に行けます。
おっきな橋、舞鶴クレインブリッジ。「鶴の橋」という意味。
この橋のたもとには舞鶴引揚記念館があります。岸壁の母ですね。
遊覧船の舳先で「岸壁の母」を歌っている方が居り、いい雰囲気を出してくれました。
湾内には小島が点在。
と、こんな感じでございました。
この後は敦賀の日本海さかな街で「鯖寿し」とお土産の「へしこ」を買って帰宅。
到着は9時。往復で合わせて12時間もバスに乗っていたのでさすがに疲れました。
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